特集「The History of Media Station」

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1998年5月7日
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1999年7月10日
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2000年7月5日
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2001年1月4日
2001年1月4日



2002年4月29日
2002年4月29日



2002年11月1日
2002年11月1日



現在
現在
ウチ「Media Station」も、ついに5周年を迎えてしまいました。ここまで続いたのは、ひとえに訪問者の皆様のおかげです。俺、惰性モードに入らない限りは、ひとつの事が長続きすることはないのです。5年も続いたなんて、奇跡ですよ、奇跡。ホントにありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたします。m(_ _)m ペコリ

さて、ウチのサイトは「What's New?」というところに更新履歴を書いていますが、ここに過去5年間の更新履歴が全て残っています。そこでここでは、そこからサイト的に重大そうな変化をかいつまんで、ネタにしたいと思います。誰がこんなの楽しみにするかって、誰も楽しみにしませんね、ハイ。俺の趣味です(笑)。


■ 1998年4月22日 「Media Station」開設

記念すべきココの誕生日です。サイト自体はその半年前から、アスキーの「ホームページメーカー」とかいうしょっぼいソフトで作った雛型があったのですが、それが吹っ飛んでMS-WORDで作ったページを公開しました。だからもう、ソースがメチャクチャです(´Д`)。WORDで作ったページ公開したのなんて、俺しかいないんじゃないか?

俺、インターネットはじめてすぐから、ホームページを持ちたかったんですよ。理由は、当時ハマってて作り溜めたMIDIデータを公開したかったから。作っても聴いてくれる人がいなかったから、ホームページを立ち上げたのでした。そして、思いつきで「ゲーム批評」を第2の柱に。俺、ファミコン世代のくせにファミコンもスーファミも封印されてたので、大学はいってサターン、プレステでコンシューマをやりまくってたのです。あとDOSのエロゲーも。だから当時はネタに困らなかったんですよね。

この当時最大の思い出は、いきなりYahoo!に登録申請したこと(笑)。今でもカテゴリ登録されています(MIDI > ジャパニーズポップス)。開設していきなり、しょっぼい状態で登録申請したので、申請は通ったのですが、コメントが寂しいです。おかげで今でも、「MIDIデータ、ゲーム批評のページ。 」です(笑)。


■ 1999年3月16日 Winamp Skin公開開始

俺がWinampスキンを知ったのは、99年の2月ごろです。スキンの世界を知って俺が思ったことは、何をどう勘違いしたのか、「これなら俺でも作れるじゃん」でした(笑)。そして根拠のない自信に溢れて作ったのが、コレとかコレ。絵を貼り付けてボタン並べただけやん、っていうかSkinMakerのボタンそのままです(´Д`)。ある意味、今の俺のスキンと大して変わっていないところが大問題です(´Д`)。

最初は楽だからという理由で基準皮だったのですが、最初は絶対俺にはレベルが高すぎて無理だと思っていた、ASPスキンをわずか3ヵ月後に製作開始。以降ASPスキンばっかり作るようになります。だって、デザインに制約がないから楽だし、幾らでもでかく出来るから、細かい作業大嫌いで大味な俺にはピッタリだったのです。一時期は、「ASPスキンと言えば〜」なんてこともあった気がします。(´ー`)


■ 1999年12月16日 InterQから さくらバーチャルドメイン(現URL)へ移転

社会人になって初めての冬のボーナスをもらって、そのときたまたまPC雑誌で、さくらインターネットの広告をみて、即移転を決意したのでした。それからが無駄に早くて、早すぎて、当時周囲の人間を呆気にとらせた模様です(笑)。「移転しました」の文字が無駄にインパクトがあって、唖然とした人もいらっしゃったと思います。

さくらインターネットですが、安定性も高いですし、容量も当時から100MBとそれなりでしたし(現在150MB)、永く愛用させてもらっています。一番良いのは、「http://www.mstation.x0.com」という簡潔なURLが、追加料金なしで使えることです。昔も今も、オススメです。但し、年間20,000円の使用料がかかりますけどね。


■ 2000年3月20日 Leaf素材を使用したSkinの通常公開終了

当時のスキン業界にとって、これほどショッキングなことはなかったんじゃないかと思います。もともと臆病者なので、ビクビクしながら全てのスキンを一般公開していたのですが、Leafの規定が公開されたときたまたま名古屋にいなくて、あの時はマジで焦りました。確かTOPだけ気合で更新して、とりあえず「3/20に削除します」と書いた記憶があります。

この事件(?)からほどなくして、「Visual Skin Maker」を公開することになります。版権スキンを公開できなくなる日のための対策で、好きな絵でASPスキンを作れるようにという思いから生まれたソフトでした。が…、全然流行りませんでしたね(笑)。原因は十指に余るほどあって、ソフトが不安定、初心者に使いにくいから始まって、今に至ってはASPスキンが下火、フレームデータのネタがない、そして限定とか言って版権スキン作りまくり!(笑) 一番悪いのは、やっぱり俺です(w


■ 2000年6月25日 すべてのWinamp Skinの通常公開終了

Leaf作品公開終了で牙城が崩れた後僅か3ヶ月で、結局ウチのSkinは陥落してしまったのでした。スキンサイトの寿命は平均1年なんてよく言われていますが、ウチも結局1年3ヶ月。今となっては完全に過去の思い出です。今後、VSMakerとイベント投稿でやって行くことにしたわけですが、当時は絶対ウチのサイトは下火になると思っていました。今でこそ、良質の作品を大量に公開しているスキンサイトはほとんどありませんが、昔はたくさんあったのです。

しかし、実際は下火にはなりませんでした。当時はスキンイベントのブームで、月単位でどこかで投稿型のスキンイベントが開催されているような、そんな勢いでした。それらに対して投稿作品を準備して、サイトではプレビューとか最新情報晒してただけだったのですが、それだけでもわざわざ皆さんがサイトに足を運んで下さったおかげです。感謝感謝です。


■ 2000年12月23日 「20世紀最後のクリスマス記念イベント」開催

ウチで開催した、はじめてのスキンイベントです。新作ベルたんスキンのダウンロード数が当時としては凄かったのと、「20世紀のスキンを振り返る(?)」と題して行った、俺が好きなスキン作家さんを、スキンのプレビューを交えて勝手に紹介してしまったコーナが好評だったことが、印象に残っています。

このときのベルたんスキンは、色々と自分に変革を与えてくれました。まず、このスキンを見たえむにさん(=ASP作者)が、「究極」だと言い始めたのです。全然究極じゃないのに。ここから「KKSは○○○○○の略だ」という説が始まったのでした。それから、このスキンを目当てに海外からの訪問者が登場し始めたのです。日本のみならず、アジア圏で「ああっ、女神さまっ」の人気が凄いことを思い知らされました。


■ 2001年1月17日 「MSt. News Clips」開始

主にWinampスキンに関する最新情報を、すばやく、ひとまとめに紹介できるようにと立ち上げたのが、「MSt. News Clips」でした。(因みに最初は「MSt. News Release」だったのを、指摘を受けて僅か1日で改名した) この当時、Winamp本体や各種プラグインの更新がとても盛んで、また多くの有名スキン作家さんたちが次々と新作スキンを公開されていたので、ネタに困ることはありませんでした。

当時はまだニュースサイトとかもそんなに多くなかったので、勝手に紹介したりリンクを載せることには抵抗もあったのですが、概ね好評だったようで、結局消滅することなく続きました。とはいっても、MEMOに吸収される直前は、記事が途切れ途切れでしたが(笑)。この「MSt. News Clips」が、現在TOPページの左側にある駄文の元祖です。


■ 2001年5月15日 「「何か」Wiz まゆら for Winamp」公開開始

後にも先にも、通常公開で16,000以上(2003.4現在)ダウンロードされる作品など、これ以外にウチから生まれることはないでしょう。版権スキンを撤去した後、絵描きさんに公開許可を得て通常公開した、初めての作品でもあります。

この当時は「何か」ブームでありかつ、「まゆら」ブームでした。このスキンを公開後、まゆらのオフィシャルサイトからもリンクいただいたのですが、そのポジションがたまたまリンク集の一番左上ということもあって、連日50〜100人程度の訪問者が流れ込んできていました。まゆらスキンはまさに、屋台骨、大黒柱でした。


■ 2001年7月1日 MIDIの一般公開終了

天下のクソJASRAC様が、アレンジMIDIに対してまで公開制限をかけてきたのを受けて、ウチはあっさりMIDIを撤去しました。開設当時から長い間名乗っていた「邦楽MIDIとゲーム批評のページ」の名が崩れた瞬間でした。とはいっても、すでにMIDIは全くやってなかったので、あまり痛くはなかったけどなー。打ち込みのテクは、完全に失われています(w

だけど、ネット上のMIDIや着メロを制限して営利に走ったり、違法コピーの削減になんか全然なってないのに、音質が悪くてCD規格から外れているCCCDを販売したり、音楽業界が音楽が広まらないように動いてどうするのでしょうか。どう考えたって、自分で自分の首を締めてるようにしか思えん。皆が音楽離れするのは当たり前ですよっ。


■ 2001年10月8日 「俺メモ」を新設

本来「News Clips」は、Skinネタに傾倒した内容にしようとは思ってなかったのですが、当時はSkinネタが豊富にあったので、それとは別に好き勝手に書けるようにということで、MEMOを新設しました。一コンテンツとして立ち上げたこともあって、ホント好き勝手なこと書いてきたよな〜。まあ、今も大して変わらないか。(´ー`)


■ 2001年12月23日 Skinイベント「Eternal Wish 〜永久の願い〜」開催

「Media Station」初の、投稿型スキンイベントでした。当時、作品がそんなに集まると思ってなかったんですよ。とりあえず自分の新作が公開できればいいやという程度に考えていたのですが、実に16作品も投稿作品が集まってしまいました。マジビックリ(´ー`)。訪問者数もダウンロード数も凄かった。

このイベントでは、3日間通して公開の新作のほかに、1日限定公開の作品が連日1つずつあったのですが、イベント期間に本業がかさんで、最後の作品(えろ遙)を徹夜で作るハメに。それも結局5時間遅刻公開でした。にもかかわらず、当時一番人気の作品だったのは、これいかに。(´ー`)


■ 2002年3月23日 Skinイベント「Everlasting Spiral 〜恒久螺旋〜」開催

アージュ系メインで突発的に立ち上げたイベントだったのですが、このイベントの主役はフランさんから来た「家族計画」の末莉たんスキンでした。そして、フランさんの「フラン☆Skin」の影響力もあいまって、はじめて数多くのニュース・テキストサイトで紹介されたスキンイベントでした。あんときのリファと来たら、ウブだった俺にはかなり強烈でしたよ(笑)。今でこそニュース・テキストサイトでスキンネタが紹介されるのは、当たり前の時代になってしまいましたけどね。

このイベントがきっかけで、今までスキン関連でしかなかったネットでのつながりが、スキンに囚われないつながりに広がりました。


■ 2002年5月21日 「MSt. News Clips」を、「俺メモ」へ移転統合

当時Skinネタが多すぎて他のネタが扱えないからMEMOを作ったのに、今度はSkinネタが枯渇してNews Clipsが維持できなくなってMEMOに吸収合併です(笑)。この経緯を知らないと意味不明なのですが、おかげで名前が「俺メモ+News Clips」でした。そして、毎日アホな勢いで更新していたMEMOが、少し日の目を見ることになるのでした。


■ 2002年7月6日 「えむえす亭アンテナ」を新設

それ以前からアンテナというものは知っていたのですが、更新された部分だけがテキストの羅列で出てくるのなんて、見たって意味不明だよ〜と思っていました。が、「はてなアンテナ」なるものを知って自分のアンテナを作ってみて、今では全く手放せない存在になってしまいました(笑)。うちはWWWCとかも使ってなかったので(対応させてたけど)、それまでは自分で全サイトを巡回かけてました。とはいっても数サイトですが。それがアンテナでは、50サイトでも簡単にチェックできるわけです。

更新された部分しか見られないのに意味があるのか?と思っていましたが、マメにアンテナをチェックしてればいいんですよね。それも何十箇所も見なくても、アンテナ1つを見てればよいわけで。気になる内容があったら、アンテナからそのサイトへ即ジャンプ。巡回の効率が大幅に上がりました。ほんばもののニュース・テキストサイトを運営する上では、こんな甘いことではダメなのでしょうが、ウチは似非ですので、これでモウマンタイです。(´ー`)


■ 2002年11月17日 「TEAM RiCEmaN」発足

高井夜音さんのほうから、帝様ことREVさんとうちに声をかけていただいたのが、最初だったような気がします。そのときから既に、IRC#フラン☆Skinはあったのですが、そのChのメンバーが次々と参加表明されたのを見て、俺が勝手に組み上げたのが「TEAM RiCEmaN」です。そんなきっかけですから、最初は寄せ集めもいいところだったのですが、その後夜音さんもIRCに加わって、今じゃマジでチームみたいになっています(笑)。

寄せ集めのはずなのに、メンバーが無駄に強固です。Skin業界という極めて限られた世界で言うなら、ネットの上でも気がつけばこのチームの人間ばかりということが、ザラにある気がします。みんな凄すぎ。寄生的創作集団なので、チームの活動如何は高井夜音さんにすべてお倣いなのですが、次はきっと夏コミあたりになるかな?

1つこのチームで問題と言えば、元々がIRCで繋がっているので、オフで顔を合わせにくいということです。実際、IRCメンバーの中には、まだ俺が会ったことない人もいるし(笑)。それと、主要メンバーが関西在住なので、東京のイベント(コミケとか)になかなか行けないのもあります。まあ大阪のコミコミで、メンバーの約半数が顔合わせちゃったとかはありますが(笑)。


■ 2002年12月14日 サイト全面リニューアル(現在の姿へ)

それまでずっと、うちのサイトのイメージカラーは青でした。理由は単純で、俺が青が好きだからです。ごくごく最初こそ黒っぽかったのですが、アングラなイメージがあるのですぐに黒は捨てました。それから4年余り、ずーっと青だったのですが、大きくイメチェンしたいということで、ついに青も捨てました。そして現在の、白と黒でメリハリの利いた、見やすいカラーリングになりました。

色彩をがらりと変えると同時に、TOPのデザインに大きな変化がありました。それまで一コンテンツに過ぎず、日当たり100人ぐらいしか見ていなかった、MEMO+NewsをTOPに合体させてしまいました。これで見てくれは、他のテキストサイトと同じような感じになりました。自動的に、目にする人が旧来の5倍以上になりました(笑)。文章が面白くないことには変わりありませんが…。


■ 2002年12月22日 Skinイベント「Nostalgia 〜あの日、あの時、あの場所で〜」開催

前年の「Eternal Wish」に続き、無事に2年連続で投稿型のSkinイベントを開催することが出来ました。しかも、前年に負けず劣らずの素晴らしい投稿作品の数々を頂き、過去最高の数字を記録することとなりました。こういうイベントは、俺ひとりで中身をどうこうできるものではないので、参加された皆さんの力でイベントが出来上がったのだと、切に感じています。今年も開催できたらいいな。毎年冬コミとぶつかって、エライコッチャなんだけどね〜(笑)。

前年のイベントとの大きな違いは、スキンの種類が増えたことですね。従来はWinamp2がほとんどでたまにWMPがある程度でしたが、それに加えてNostalgiaではLilithのフェイスやWinamp3スキンが。現在のスキン業界も、これらが入り乱れて発表されていますし、かつてのWinamp2スキンのような、デファクトスタンダードになるスキンは出てくるのでしょうか…?





クソ長い文章でしたが、これで終わりです。最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。m(_ _)mペコリ
ひととおり書いて思ったこと。やっぱり5年って、長い!!

ココに書いてないことも含めて、この5年間ホントにいろいろなことがありました。サイト開設当時は、まさか自分が金出してエロゲ買ったりエロゲ雑誌読みまくったり、同人誌即売会に行きまくったり、そこかしこで本当に多くの方々と知り合えたり、こうなるなんて全く思っていなかったです。今後も「Media Station」ともども、どこまでも煩悩本能の赴くままに歩んでいきたいと思います。(´ー`)






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